法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会・事務当局試案に関する会長声明
法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会・事務当局試案に関する会長声明
1⑴ 我が国の刑事司法制度においては,捜査機関の想定に基づいて供述獲得が目指される密室取調べとその結果作成される供述調書が,公判実務に決定的な影響を与えている。また,いわゆる人質司法の問題,被疑者と捜査機関との間の証拠の偏在といった状況は,被疑者・被告人が十分な防御を行うことを困難にしてきた。
すなわち,捜査機関の力が刑事司法実務全体に過大な影響力を持ってきたという構造的な問題があり,これが往々にして,捜査機関による独善・暴走を許すことにつながり,冤罪・誤判を生み出す大きな要因となってきたものである。
このような状況は,適正手続を保障する憲法第31条,不利益供述の強要を禁止する憲法第38条,これらを実現する刑事訴訟法全体の趣旨に悖る状況と言わざるを得ないものであった。
⑵ 近年,厚生労働省局長事件に関する証拠改ざん等の違法行為により,検察に対する社会の信頼は大きく揺らいだが,これを契機として法務省に設置された「検察の在り方検討会議」は,平成23年3月31日,「検察の再生に向けて」と題する提言を発表した。同提言は,「取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方を抜本的に見直し,制度としての取調べの可視化を含む新たな刑事司法制度を構築するために,直ちに,国民の声と関係機関を含む専門家の知見とを反映しつつ十分な検討を行う場を設け,検討を開始するべきである。」と結論付けた。
そして,同提言を受けて法務大臣は,法制審議会に対して「取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方の見直しや,被疑者の取り調べ状況を録音・録画の方法により記録する制度の導入など,刑事の実体法及び手続法の整備の在り方について,御意見を承りたい。」とする諮問第92号(以下「本諮問」という。)を発し,これを受けて法制審議会は,「新時代の刑事司法制度特別部会」(以下「本特別部会」という。)の設置を決定した。
⑶ 本特別部会の設置に至る経緯は以上のとおりであり,本諮問が求める「見直し」とは,憲法及び刑事訴訟法上の適正手続保障の趣旨を徹底し,冤罪の発生を根絶するため,密室取調べなどの構造的な問題を抜本的に改善する方策の検討を行うことにあると理解すべきである。より具体的に述べれば,本諮問の趣旨は,「取調べの全面可視化を中心として,捜査の適正を確保し,捜査機関の暴走を抑制し,冤罪の根絶に資する方向での提言」を行う役割を本特別部会に求めたものである。
2 平成26年4月30日開催の法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会第26回会議において,事務当局試案が提示された。
⑴ 同試案においては,取調べの録音・録画制度について,(a)録音・録画の対象を裁判員裁判対象事件に限定するか(A案),裁判員裁判対象事件の全取調べ及び裁判員裁判対象事件以外の全身体拘束事件の検察官による取調べに限定し(B案),(b)「被疑者が十分な供述をすることができないと認めるとき」などの例外事由を認めている。
しかし,このような限定的な取調べの録音・録画制度では,「取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方の見直し」を実現することはできず,本諮問の趣旨を没却してしまう。
すなわち,(a)裁判員裁判対象事件以外の事件においても虚偽自白の強要及び冤罪の危険は減少せず,冤罪が起きてしまった場合に冤罪被害者が受ける影響は絶望的に大きい。また,(b)試案が認める例外事由は捜査機関による恣意的運用の危険を否定できず,ひとたび恣意的運用を許してしまえば,せっかく導入した録音・録画制度の価値を水泡に帰してしまうこととなる。
⑵ また,同試案においては,被疑者・被告人の身体拘束の在り方についてなんら具体的な提言がなされておらず,いわゆる人質司法の問題を抜本的に解決し,冤罪の発生を根絶するという当初の目的は没却されてしまった。
⑶ 証拠開示制度についてみれば,冤罪を根絶するための鍵ともいえる全面証拠開示制度は制度設計から外されてしまい,現行の公判前整理手続における証拠開示制度の枠組みを前提とした限定的な制度の提言にとどまっている。
このような提言を行うことは,冤罪を防止するための刑事司法制度の実現という本特別部会の本来の役割を放棄するものに他ならない。
3 そして,(a)刑の減軽制度,(b)司法取引,(c)通信傍受の拡充,(d)犯罪被害者等証人の支援・保護,(e)公判廷に顕出される証拠が真正なものであることの担保,(f)自白事件を簡易迅速に処理するための方策の各項目については,「捜査の適正を確保し,捜査機関の暴走を抑制し,冤罪の根絶に資する方向での提言」には該当せず,本諮問の趣旨に沿うものとは言えない。
特に,(a)刑の減軽制度については,取調べにおける利益誘導に基づく虚偽自白獲得を助長することになりかねず,また無実の第三者の引っ張り込みの危険も否定できない。(b)司法取引については,(a)と同様の引っ張り込みの危険に加え,共犯者への責任のなすりつけといった重大な事態が生じる危険も想定される。さらに(c)通信傍受の拡充については,現行の通信傍受法でさえも憲法違反の疑いが濃いと言われているにもかかわらず,更に捜査機関の権限を拡大し,広く一般市民のプライバシー侵害を引き起こす危険の強い内容となってしまっている。また,(e)公判廷に顕出される証拠が真正なものであることの担保として具体的に検討されている被告人の虚偽供述等の禁止については,いったん虚偽の自白調書が作成されてしまった事案において,被告人の防御権が著しく侵害されてしまい,「自己が真実と考える事実」を積極的に裁判において主張することができなくなってしまう。
4 当会は,同部会に対し,法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会・事務当局試案の撤回し,例外のない取調べの全事件・全過程の録音・録画制度を導入すること及び全面的証拠開示制度を実現することに関しては,再度,諮問の趣旨に立ち返って議論を行うことを求め,通信傍受法の対象犯罪の拡張など新たな捜査手法の導入を行うことに関しては,諮問の趣旨に沿うものとは言えないことから,検討項目から除外することを求める。
2014年(平成26年)6月11日