夫婦同氏制を定める民法750条の規定を合憲とする最高裁判所大法廷判決に対する会長声明
2015年(平成27年)12月16日、最高裁判所大法廷は、夫婦同氏制を定める民法750条につき、夫婦同氏制は旧民法で採用され我が国社会に定着してきたこと、氏は社会の自然かつ基礎的な集団単位である家族の呼称として一つに定めることに合理性が認められること、民法750条は夫婦いずれの氏を称するかを夫婦となろうとする者の協議に委ねているのであって、文言上性別に基づく法的な差別的取扱いを定めているわけではないこと、婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないものではないことなどの諸事情を考慮すると、夫婦同氏制が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠く制度であるとは認めることができず、憲法24条に違反するものではないと判示した。
ところで、氏名は個人の人格の象徴であって人格権の一内容を構成するものであり、個人は婚姻にあたり氏を自己決定する権利を有している。夫婦同氏制については,現行憲法制定当時としては、妻は家庭内において家事育児に携わるという家族生活が標準的な姿として考えられていたことから、妻が婚姻により氏を変更することに特に問題を生じることは少なかった。しかしながら、近年女性の社会進出が著しく進み、婚姻前のみならず婚姻後に稼働する女性が増え、その職業も家内的な仕事にとどまらず、社会と広く接触する活動に携わる機会も増加した。そのため、婚姻による氏の変更により、個人の識別、特定に困難を引き起こす事態が生じ、また、氏はその個人の人格を一体として示すものであるところ、氏を変更した一方は自己喪失感を持つに至ることもあり得るなど、夫婦同氏制が個人の人格的利益を侵害するに至っている。そして、現実に96パーセントを超える夫婦が夫の氏を称する婚姻をしており、氏の自己決定権の制約、個人の識別機能に対する支障、自己喪失感などの負担はほぼ妻のみに生じているため、個人の尊厳及び両性の本質的平等に反する事態が生じている。さらに、上記の不利益を避けるためにあえて法律上の婚姻をしないという選択をする者を生んでおり、夫婦同氏制によって婚姻の自由も制約を受けている。世界的に見ても、多くの国において夫婦同氏の外に夫婦別氏が認められており、現時点において、例外を許さない夫婦同氏制を採っているのは我が国以外にほとんど見あたらない。我が国においては、法制審議会が1994年(平成6年)に「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」を公表し、これをさらに検討した上で1996年(平成8年)に法務大臣に答申した「民法の一部を改正する法律案要綱」において、いわゆる選択的夫婦別氏制という改正案が示され、国会においても選択的夫婦別氏制の採否が繰り返し質疑されてきた。我が国が1985年(昭和60年)に批准した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」に基づき設置された女子差別撤廃委員会からも、2003年(平成15年)以降、民法に夫婦の氏の選択に関する差別的な法規定が含まれていることについて懸念が表明され、その廃止が繰り返し勧告されている。
今回の最高裁判決は、夫婦同氏制が憲法24条に違反しないと判断したが、上記諸事情に照らすと、別氏を望む夫婦にまで同氏を強制する理由はなく、民法750条は、女性が持つ氏の自己決定権並びに氏による個人の識別機能及びアイデンティティという人格的利益、あるいは婚姻の自由を実質的に侵害している。最高裁判決は、上記不利益は氏の通称使用が広まることにより一定程度緩和され得るとするが、通称は便宜的なもので、使用の拒否、許される範囲等が定まっているわけではなく、通称名と戸籍名との同一性という新たな問題を惹起することになるだけでなく、そもそも通称使用は婚姻によって変動した氏では個人の同一性の識別に支障があることを示す証左なのであり、通称使用が広まることは、夫婦が別の氏を称することを全く認めないことの合理的な理由とはならない。5名の裁判官(3名の女性裁判官全員を含む。)が述べるとおり、民法750条は個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超える状態に至っており、憲法24条に違反する。また、法制審議会による答申後、国会において選択的夫婦別氏制が議論されながらその立法化を長年放置しており、国会による立法不作為も違法といわざるを得ない。
したがって、岡山弁護士会は国に対して、夫婦の氏を同等に尊重し両性の本質的平等を実現するために、夫婦同氏規定を廃止し、婚姻前の氏を引き続き称することを望む者にこれを認める選択的夫婦別氏制の立法化及びこれに伴う戸籍法等の改正を強く求めるものである。
2016年(平成28年)1月13日