(2019.05.30)裁判官の市民的自由を委縮させないように求める会長声明
1 最高裁判所大法廷は,平成30年10月17日,東京高等裁判所岡口基一判事に対する戒告処分を決定した(以下「本件決定」という。)。
その理由とするところは,同判事が平成30年5月17日頃,ツイッター上の自己のアカウントにおいて,東京高裁で控訴審判決が確定した,自己の担当外の民事訴訟に関する報道について,記事を閲覧できるウェブサイトにアクセスできるようにするとともに,下記のツイート(以下「本件ツイート」という。)により上記訴訟を提起して犬の返還請求が認められた当事者の感情を傷つけたことが,裁判所法49条にいう「品位を辱める行状」に当たるというものである。
記
公園に放置されていた犬を保護し育てていたら,3か月くらい経って,
もとの飼い主が名乗り出てきて,「返して下さい」
え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・
裁判の結果は・・
2 また,国会の裁判官訴追委員会は,本件ツイート等に関して,平成31年3月4日,岡口判事から事情聴取した。
3 憲法21条1項は,「一切の表現」の自由を保障している。
表現の自由が憲法上最大限に保障されている趣旨は,個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという個人的な価値(自己実現の価値)と,言論活動によって国民が政治的意思決定に関与するという,民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値)があるからである。
そして,判例上,こうした表現の自由の重大性に鑑み,表現の自由を制約する場合,厳格に判断されてきた。
裁判官についても,表現の自由の一類型としての政治活動の自由が問題となった寺西判事補事件(最大決平成10年12月1日民集52巻9号1761頁)において,「制約が合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものである限り,憲法の許容するところであるといわなければならず,右の禁止の目的が正当であって,その目的と禁止との間に合理的関連性があり,禁止により得られる利益と失われる利益との均衡を失するものでないなら,憲法21条1項に違反しないというべき」との規範により,本件決定よりも緻密なあてはめが行われている。
4 ところが,本件決定においては,こうした緻密な論証は一切見られない。
本件決定は,「被申立人の上記行為は,表現の自由として裁判官に許容される限度を逸脱したものといわざるを得ないものであって,これが懲戒の対象となることは明らかである」と一言述べるだけで,なぜ当該制約が「合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものである」かという問題については一切言及することがなかった。
さらに,寺西判事補事件とは異なり,裁判官によるインターネットやSNSの利用あるいは私人の訴訟事件についての評釈について,許容される表現活動について何ら明示していない。
今後,本件決定のように「表現の自由として許容される限度を逸脱した」といった,極めて抽象的な判断基準で表現の自由が制約されてしまえば,どこまでの表現行為が許されるのか予測することは困難であって,裁判官はおろか,一般市民の表現の自由に対しても多大な萎縮効果を与えることは必至である。
5 今日,司法による解決が求められる分野が拡大し,裁判官が,視野を拡げておくべき要請は強くなっており,また複雑化する社会において,納得できる人間味のある裁判を求める国民の期待も高まっている。こうした要請や期待に応えうるために,裁判官の表現の自由を始めとする市民的自由は,裁判官が絶えず変化し進歩する法律,社会,経済,文化に関する知識と経験を吸収し,豊かな人間性を培う基礎になるものとして不可欠なものである。
また,自己の基本的人権も享受できない裁判官に国民の基本的人権を守ることを期待することは到底できない。
本件決定は,司法の機能を拡大,維持するために必要な資質を持った裁判官を養成する観点からも重大な問題を含んでいる。
6 以上から,当会は,抽象的な判断基準で表現の自由を制約した本件決定に異議を唱えるとともに,最高裁と国会の裁判官訴追委員会に対し,裁判官の市民的自由を委縮させることのないよう配慮することを求める。
以 上
2019年(令和元年)5月30日
岡山弁護士会
会長 小 林 裕 彦